火の玉石(重軽の石)
石占(いしうら)の一種で、持ち上げた時の重量感で吉凶を占うものです。
火の玉石(重軽の石)の由来について、次の説話が伝えられています※。
慶長年間、津軽国弘前藩二代藩主津軽信枚(のぶひら)侯は、日本海を海路にて領国へ帰国の途上、佐渡沖にて暴風雨に遭い御座船は難破寸前となった。予てより伊夜日子大神の広大な御神威を聞いていた侯は船上から遙かに弥彦山に向い、鳥居奉納を誓って神助を願ったところ、たちまちに波は静まり、無事に帰国できた。
以来毎年使者を遣わして礼参を続けていたものの、鳥居奉納はなされぬままであった。そのうちに、毎夜二つの火の玉が大きなうなり声を発しつつ天守閣を中心に城中を飛び回る怪異が起きた。毎夜打ち続く怪異に城中の一同が悩まされ、大事件となった。驚いた候は城中をくまなく調べさせたところ、飛び回る二つの火の玉は、ちょうど大人の頭ほどの大きさの石であることが判明した。候は心中深く思いめぐらせたところ、彌彦神社に誓った鳥居奉納の誓いを果たしていないことに気付いた。
候は早速に御座船の帆柱を切り倒して弥彦まで運び、元和三年(1617)鳥居は無事完成し奉納された。鳥居とともに、城中を飛び回った火の玉石も一緒に納められた。
この火の玉石は「津軽の火の玉石」・「重い軽いの石」と呼ばれ、心の中で願い事を思いつつ持ち上げて、軽いと感じれば祈願は成就し、重いと感じたならば叶わないと言われている。
※参考図書『弥彦村史辞典』389頁 平成21年3月1日 弥彦村教育委員会編